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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)825号 判決 1994年10月11日

上告人

鈴木秀明

被上告人

関いづみ

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告人の上告理由について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  本件建物の所有者であった上告人の父鈴木正司は、昭和五九年五月ころ、上告人に家賃を小遣い代わりに取得させること及び相続税対策の目的で右建物を上告人に贈与した上、右建物が朽廃、滅失するまでこれを所有する目的のため本件土地を上告人に無償で貸し渡した。

2  上告人は、被上告人に本件建物を賃料月額二万五〇〇〇円で賃貸していたが、被上告人の二女の失火を原因とする火災により昭和六三年一二月九日に右建物が全焼したため、本件土地の使用借権を喪失した。

3  上告人は、一三五〇万円の火災保険金を受領した。本件建物の価格に相当する額の上告人の損害は、右火災保険金によって補てんされた。

4  本件建物は、昭和二七年建築の木造二階建居宅(登記簿上の床面積は一階98.06平方メートル、二階24.84平方メートル)で老朽化しており、通常の利用方法で相応の維持修繕を施せば、少なくとも本件火災後一〇年程度は存続したものと推定される。

5  本件火災がなかったとした場合に、本件建物から得られる火災後一〇年間の収益の額は、一三五〇万円を超えない。

二  原審は、右事実関係の下において、建物が朽廃、滅失するまでこれを所有するという目的でされた使用貸借に基づく権利は独自の財産的価値があるものとして損害賠償の対象となるものではないこと、本件建物の焼失による損害額の上限は、焼失時の建物価格と、前記の右建物の存続期間を前提にすれば、本件火災後一〇年間に右建物によって得ることができる利益の額のうち、いずれか高額の方となるが、上告人が右建物の価格に相当する賠償として受領した火災保険金一三五〇万円を超える額の利益を右建物から得ることができたという事実の証明がないことを理由として、本件火災による本件土地の使用借権喪失による損害五〇〇万円及び弁護士費用五〇万円の支払を求める上告人の請求をすべて棄却すべきものとし、右債務の不存在確認を求める被上告人の請求を認容すべきものと判断した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

地上の建物が朽廃、滅失するまでこれを所有するという目的でされた土地の使用貸借の借主が契約の途中で右土地を使用することができなくなった場合には、特別の事情のない限り、右土地使用に係る経済的利益の喪失による損害が発生するものというべきであり、また、右経済的利益が通常は建物の本体のみの価格(建物の再構築価格から経年による減価分を控除した価格)に含まれるということはできない。そうすると、上告人は、少なくとも、焼失時の本件建物の本体の価格と本件土地使用に係る経済的利益に相当する額との合計額を本件建物の焼失による損害として被上告人に請求することができるものというべきである。原審は、前者のみが損害であるとし、後者の経済的利益の有無及びその額について審理判断をしなかったのであり、原判決には法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。この趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そこで、本件土地の使用借権喪失による損害発生の有無及びその額について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告人の上告理由

第一点

原判決には以下のとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな法令(不法行為及び債務不履行における損害賠償の対象、範囲に関する法令、特に民法七一四条一項、七〇九条、四一五条、四一六条等)の違背がある。

一 原審が確定した事実はつぎのとおりである。

上告人は昭和五九年五月頃本件土地上の本件建物をその所有者である訴外正司から贈与を受け、かつ、その際上告人は正司から同人所有の本件土地を、本件建物が朽廃、滅失するまで保存、所有する目的のため無償で借受けた。被上告人は、昭和五九年以来、上告人から同人所有の本件建物を賃借していたところ、昭和六三年一二月九日、被上告人の次女(当時一三歳)が炊事中、フライパンの油に火が入り、その火が本件建物に燃え移って同建物を全焼させ、そのため、被上告人は上告人に対して、右次女の失火について民法七一四条一項により、あるいは、債務不履行により損害賠償責任を負うに至った。右本件建物の焼火により上告人は本件土地に対する使用借権を喪失した。なお、本件建物は、通常の利用方法で、相応の維持修繕を施せば少なくとも本件焼失時から一〇年程度は存続する建物と推定される。

二 本件において上告人は右建物焼失による建物に替わる建物価額相当額の賠償を求めたものではなく、不法行為(民法七一四条一項)及び債務不履行に基づき、被上告人に対し本件使用借権喪失に基づく同使用借権価額金六〇〇万円及びその請求のための弁護士費用金六〇万円合計金六六〇万円の賠償を求めたものである。

使用借権も民法が規定する債権であって、客観的な財産権であり、客観的な経済的利益すなわち物の使用収益を目的とする権利である。従って、第三者の責めに帰すべき事由によってその侵害を受けた場合には、当然これにより生じた損害の賠償を請求することができる。そして、その侵害によって、その債権が消滅した場合、物の滅失による損害賠償請求の場合と同様に、債権の価額(評価額)と同額の損害賠償請求が認められる。

建物が朽廃、滅失するまでこれを所有する目的の土地使用貸借契約において、第三者の行為によって地上建物が滅失し、その結果使用借権が消滅した場合、使用借主の損害は、建物の滅失と土地使用借権の喪失である。建物の滅失に対しては建物価額相当額の賠償を請求できるが、この賠償を受けただけでは損害は回復されない。なぜなら、建物価額だけの賠償では建物の敷地利用権の喪失に対応する損害の賠償がなされていないからである。このことを、実質的に見るならば、物の滅失や権利の喪失による損害賠償の場面において、その物や権利の価額をもって損害賠償額とするのは、結局その物や権利が滅失又は喪失しなかったとしたら被害者が保有したであろう経済的利益を回復するためにほかならない。従って、本件のような事例においては、建物価額相当額の賠償によって、敷地利用権の内容、存否等に係わらない、純粋に建物所有による経済的利益の賠償が行なわれるが、それだけではその建物所有のために必要な敷地利用権の保有による経済的利益の賠償はなされない(原審の確定した事実によれば、上告人は本件建物の焼失について、日動火災保険株式会社から金一三五〇万円の火災保険金の支払を受けているが、これは所有建物滅失(焼失)それ自体による損害の填補にとどまり、本件土地使用借権の喪失による損害の填補を含んでいないことはいうまでもない。従って、右保険金の支払は本件使用借権の喪失による損害賠償請求権の存否については全く無関係の事実である。)。建物の価額の賠償を得ても、同種同等の建物を実際に保有するには代替敷地を得なければならないのであるから、当該土地の使用借権の価額に相当する賠償が必要なのである。さらに見方を変えると、この場合、使用借権を喪失した使用借主はあらたな敷地を調達するためには土地を購入したり、賃借したりという新たな出費を強いられるのであるが、そうした出費をしないで建物所有のための土地を使用できたという経済的利益は、法律によって認められた経済的利益であり、保護されるべき正当な利益である。

従って、本件においても、本件建物が焼失時から少なくとも一〇年程度は存続するものと推定される以上、もし本件火災によって本件建物が喪失しなければ、本件土地使用借権も少なくとも一〇年は存続したのであるから、このような本件土地使用借権の喪失に基づく上告人の被上告人に対する本件土地使用借権相当額の損害賠償請求権が発生する。

三 しかし、原審はつぎのとおり判示して、本件使用借権喪失による損害賠償の請求について、本件使用借権の独自の経済的価値を否定し、損害賠償の対象とならないものと断じ、上告人の反訴請求を棄却し、被上告人の請求を認容したものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背が存在する。

「しかし、使用貸借は貸主の厚意、恩恵等に基づく無償契約であることから、借主の使用収益の権能、いわゆる使用借権も、借主が目的物を使用収益することを受忍するという貸主の消極的な義務に対応して生ずる消極的な権能に過ぎず、第三者に対する効力もないのであって、本件のように、建物が朽廃、滅失するまでという目的でなされた土地の使用貸借においては、当該建物が滅失すれば右使用貸借は当然に終了し、その滅失(焼失)が第三者の行為によって生じた場合も、その建物滅失それ自体による損害賠償の問題が生ずるものの、その消滅した使用借権については、使用貸借の右性格からすれば、独自に財産的価値があるものとして損害賠償の対象となるものではないというべきである(もともと土地の使用借権については、その性格上借地権などと異なり本来的な意味での市場価格というようなものは成立するはずのないものというべきである。)。」

四 しかし、原判決の右のような解釈は第二項に述べたところから明らかなように法令の解釈適用を誤ったものであるが、さらにつぎの諸点からもその誤りが明白である。

1 原判決の摘示する理由は本件において土地使用借権の消滅が損害賠償の対象にはならないとする理由にはなりえないものであって、以下のように法律の根拠を欠くものである。

(一) 使用貸借契約が通常貸主の厚意、恩恵等に基づくということは、使用貸借の動機に過ぎず、また、民法が使用貸借の法律効果等を定める際の立法理由であったに過ぎず、これをもって直ちに、本件使用借権の消滅が損害賠償の対象とならないということはできない。使用借権が民法によって債権として法律上の効果が与えられている以上、損害賠償の対象となるかどうかは、民法の定める使用借権の内容によって判断されなければならない。

(二) 原判決は「使用借権も、借主が目的物を使用収益することを受忍するという貸主の消極的な義務に対応して生ずる消極的な権能に過ぎず、」といっているが、これは、使用貸借が有する抽象的な性質論に過ぎず、そのようなものであっても、使用借主は目的物を使用収益することができ、使用貸主による使用収益の妨害に対してはその妨害の排除を求めることができ、使用貸借契約存続中に明渡や引渡しを求められてもこれを拒絶できる客観的な権利であり、原審の指摘するような消極的権能であることをもって、当然に使用借権の消滅が損害賠償の対象にならないということはできない。

(三) 原判決はさらに第三者に対する効力もないことを本件において使用借権の消滅が損害賠償の対象とならないことの理由としているが、これも理由にはならない。すなわち、第三者に対する効力がないという判示部分の趣旨は必ずしも明らかではないが、債務者に対してのみ請求できる権利という意味なら、それは債権の通有性に過ぎず、これをもって直ちに本件について使用借権の喪失が損害賠償の対象にならないとする根拠にはなりえない。また、目的物が第三者に譲渡されてしまえば使用借主は譲受人に使用借権を対抗できない、即ち対抗力がないという意味だとしても、同様にこれを根拠として使用借権の喪失は損害賠償の対象とならないということはできない。およそ、第三者に対抗できないということは債権の本来持っている性質であって、そのことは、本件使用借権喪失が債権侵害による損害賠償の対象とならないとする理由にはなりえない。

(四) 原判決は土地の使用借権については、その性格上借地権などと異なり本来的な意味での市場価格というようなものは成立するはずのないものというべきであるとしているが、市場価格がないということから土地使用借権の喪失が損害賠償の対象とならないということはできない。このような原判決の論拠によると、市場価格のない債権は損害賠償の対象とはならないという結論になる。元来譲渡性のない債権は市場価格はないし、非上場株式なるものも市場価格はないが、損害額の算定は可能である。

2 原判決の前記判示に従い、建物が朽廃、滅失するまでその建物を所有することを目的とする使用借権が、第三者の行為によって建物が滅失した結果、同土地使用借権が消滅した場合には、その喪失した使用借権は損害賠償の対象とならないとすれば、つぎのように著しく妥当性を欠く結果を招くことになる。

(一) 第三者が建物に放火したり、重機で建物を取り壊したような場合にも、その第三者に対して建物価額以外に使用借権相当額の賠償を請求できない。第三者の詐欺脅迫で使用借主が建物を収去した場合も同様である。

(二) 使用貸借の目的たる土地の所有者である使用貸主(以下単に「使用貸主」という)が使用貸借の目的である土地上にある使用借主の建物を放火、取り壊し等の方法で滅失させたり、詐欺、脅迫等によって建物を撤去させた場合も同様である。もっとも、この場合は、信義則や意思表示の瑕疵により使用借権の存続を主張できると解する余地もないではないが、例えば、使用借権消滅後に他に土地を調達してしまって、使用貸借の目的である土地の占有を回復しても意味のない場合には、単純に損害賠償を請求することになるが、使用貸主に対して建物価額以外に使用借権相当額の賠償を請求できないことになる。

(三) 使用貸主が使用貸借の目的である土地を第三者に売却した場合は前記のとおり使用借権は第三者に対する対抗力がないから、第三者からの明渡請求に対しては建物収去土地明渡に応じなければならない。この場合、使用貸主は債務不履行となったのであるから、使用借主は使用貸主に対し、債務不履行により生じた損害の賠償を求めうるはずであるが、使用貸主に対して建物価額以外に使用借権相当額の賠償を請求できないことになる。

(四) いったん使用貸借によって土地を貸渡した使用貸主が、使用貸借契約存続中に売却の必要や自己使用の必要などにより、明渡を求める場合、取引慣行では使用借権の買取代金とか、立ち退き料、解約料等様々な名目で実質的に使用借権の喪失に対する補償がなされているし、公用収容の場合にも建物所有目的の土地使用借主には借地権価格の三分の一程度の金額の補償金が支払われるということはすでに公知の事実である。ところが、原判決のもたらす右のような不都合の結果、使用貸主は、使用貸借契約存続中に目的である土地を売却しても、使用貸主の債務不履行による使用借主の土地占有権原喪失という損害が発生しているにもかかわらず、建物価額の賠償責任を負うだけですむことになる。これは、合意解除等法律関係に即した正常な解決方法による使用貸借契約の終了の場合は相応の使用借権に対する補償が受けられるのに、債務不履行という違法行為を辞さない使用貸主は、第三者に目的物である土地を売却してしまうことによって、使用貸借契約の拘束から逃れられる一方で、その債務不履行による損害賠償としては建物価額の賠償をすればよいことになり、あまりにも不当な結果となる。殊に地価の高騰した現在においては、その弊害は著しいものとなろう。

五 右のとおり、原判決は、不法行為及び債務不履行における損害賠償の対象、範囲に関する法令、特に民法七一四条一項、七〇九条、四一五条、四一六条等の解釈、適用を誤り、その結果、上告人の請求を棄却したものであって、破棄を免れない。

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